第17章 行財政改革

岩崎 美紀子 (筑波大学助教授)

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3 連邦政府の行財政改革の影響

(2) 社会政策への政府間財政移転

連邦制は、憲法により立法権を連邦政府と州政府のあいだで分割する制度であり、それぞれの政府は、与えられた立法分野のなかで最高決定者となる。カナダ連邦憲法は、社会政策分野は州の権限に属するとする一方で、連邦政府に強大な財政権限を与えている。

第2次世界大戦後、医療・保健、福祉、教育といった社会政策分野において、同じカナダ人でありながら居住する州によってサービスや税金のレベルに大きな違いがあるのでは公平に欠けるとみなした連邦政府は、これらの分野は州権に属するとしても、一定レベルのサービスを汎カナダ的に実現させるのは国家政府の責任であるとし、サービスの直接の供給者 は州であるが、その費用を連邦が分担することでプログラムの存在と内容を担保する方法(連邦-州費用分担プログラム)を積極的にとってきた。資金提供者としての連邦政府の財政赤字は、費用分担のあり方や方法に影響せざるをえず、社会保障制度改革の要因となる。

EPFは、1977年、すでに定着したとみられる3つの費用分担プログラム(病院保険、医療保険、高等教育助成)を統合し、助成の方法を、包括的補助金 block grant と税ポイント移譲 tax point transfer の組み合わせに変えた。費用分担プログラム方式のもとでの連邦補助金は条件付き conditional grant であり、これが州権管轄分野への連邦の介入と捉えられ、州の反発を買ってきたが、EPFでは、州は、医療・保健と高等教育分野において一定の基準を満たすサービスを提供していれば、EPFでの財政移転を他のプログラムに使ってよくなり、使途の自由度が増した。

EPFの成立は、補助金は欲しいが連邦政府の条件は排除したい州と、補助金を通して発言権を確保したい連邦との10年近い熾烈な対立の末の決着とみることもできるが、次の2点において連邦政府の強い意志の表現でもある。まず第1は、連邦から州への補助金額を、連邦が予測・制御することである。これまでは、州が支出した分に合わせる形であったため、連邦の補助金額は、各州政府の支出の総計となり、伸びを抑えることは不可能であった。EPFにより費用分担原則から離れたことで、連邦政府は、移転の額や伸びの決定権・裁量権を手に入れたのである。

第2は、ケベックの特別扱いを具現するオプティング・アウトの一般化である。1960年代「静かな革命」を遂行するケベックの州権主義の強い主張に押された対応策であり、それでもケベックだけではなく全州に向けて提案された1964年暫定措置(オプティング・アウト)であるが、これを選んだのはケベックだけであったため、結果としてケベックは他の州とは異なる扱いとなった。オプティング・アウトによる財政補填の方法が税ポイント移譲であったことから、この方法を一般化することで、ケベックの特別扱いを薄めることは、トルドー政権の課題であった。

EPFと並び、社会政策分野での連邦から州への財政移転であるCAPは、1966年、それまで個別であった社会扶助や福祉プログラムの総合化により発足した。EPFにより、医療・保健、高等教育分野への連邦助成が、費用分担方式から総合補助金へ移行した後、CAPは連邦-州費用分担プログラムの最大のプログラムとなった。サービスの質など詳細は州が決め、州の支出した額に連邦が同額の補助金を支払うという費用分担原則のもとで、連邦政府は補助金の額や伸びを予測できなかった。連邦財政の赤字が累積していっても、CAPの伸びを抑制できないことに対して、1990年連邦政府がとった方法は、平衡交付金を受領しない豊かな州(have provinces)に移転されるCAP補助金の伸びを、毎年5%に抑える措置(cap on CAP)であった。この措置の影響をもっとも受けたオンタリオ州では、17億ドルの減収となり、これまでのサービスのレベルを維持するには、州の費用分担率は50%から72%にはね上がった。この措置は、それまでの連邦と州のあいだで交渉・調整された協定に基づく算定方式が、連邦政府の決断により一方的に超えられることを示すとともに、オタワ川を挟んで西の5州(自立型)と東の5州(福祉依存型)への連邦政府の姿勢の違いを顕著に示すことになり、CAPの根本的改革が強く提起された。

(3) 連邦財政再建と社会政策

クレティエン政権は、社会政策に関する州への財政移転の見直しを行い、カナダ保健・社会財政移転(Canada Health and Social Transfer : CHST)の創設を1995年予算で発表し、翌1996年度から導入した。CHSTは、多くの問題が提起されていたCAPをEPFに統合する形をとっており、社会政策に関しての連邦から州への財政移転の一本化である。移転の方法は、EPFと同様、包括補助金と税ポイントの組み合わせであり、CAPが加わったため、州に移譲される税ポイントは、所得税が13.5から14.8585に引き上げられた。

CHSTは、財政的にも行政的にも、質の面で社会政策が変わる契機となる。財政的には、州の経営感覚が強化される。CAPのもとでは、州は支出した分と同額が連邦政府から移転された。これは、州にとっては半分の費用でサービスが提供できることからコスト感覚を弱め、さらには支出を削れば削った分だけ歳入(連邦からの移転金)が減ることから、放漫かつ膨張的財政運営となりがちであった。CHSTでは、連邦からの移転は総額で決まっており、サービス供給のコストや効率を重視せざるをえなくなる。

行政面で注目したいのは、縦割りを超えての総合化が可能となった点である。CHST導入前は、CAPが対象とする福祉は、EPFが対象とする医療・保健、高等教育とは別だてであった。このため、医療・保健と福祉の連携は困難であった。CHSTは、社会政策関係の連邦財政移転の一本化であり、これにより、例えば高齢者の在宅看護などを公共サービスでできるようになった。またCAPでは福祉と雇用を連関させることはできなかったが、CHSTにより福祉依存者を労働市場へ戻す政策が可能となる。

CHSTは、このように州の政策自由度を上げたが、連邦政府は、社会政策をすべて州に任せたわけではない。社会政策の手厚さは、カナダの誇りであり国民のカナダ・アイデンティティの基礎にもなっている。労働力の州間移動は盛んであり、社会サービスの量と質に地域差が出ることを国民は好まない。連邦政府は、このような国民感情を背景に、CHSTにおいても、1984年からEPFに関連して適用されているカナダ保健法 Canada Health Act の5条件を継続するとともに、CAPに関しては居住条件を課さないことだけを抽出し、計6つの条件の遵守を、補助金交付の前提とした。違反すればその分だけ補助金を減額するという罰則も継承している。

連邦政府の財政改革は、連邦自身の管轄分野における歳出削減から始まったが、州への財政移転に歩みを進め、社会政策の展開に影響を与えることになったのである。